就活をしないと決めた大学生が考えていること

 

わたしと小鳥と鈴と

わたしが両手をひろげても

お空はちっとも飛べないが

飛べる小鳥はわたしのように

地べたを早くは走れない

わたしがカラダをゆすっても

きれいな音は出ないけれど

あの鳴る鈴はわたしのように

たくさんは歌は知らないよ

鈴と小鳥とそれからわたし

みんな違ってみんないい

金子みすず

 

パソコンとスマホと本と

わたしが一冊の本を読む間に

パソコンとスマホは膨大な情報をコントロールしている

パソコンがまた一つ仕事をしている間に

わたしは本を読む。

どれも便利でどれもいい

松園だいき

 

この記事はふと書きたくなったから書いている。着地点はどこにしようとか、これを訴えたいとか、伝えたいこととか、今の時点はない。

だけど、一筆書きで書いていくと、いつか最後はいいことが言えるだろうと自分を信じて書いている。ただそれだけの記事をあなたは読んでくれている。「最後までこうご期待」という姿勢だろうか。ありがたい話。ぜひ、最後まで!

 

冒頭から有名な詩をぶっこんでみて。どこか懐かしい感じがするのは僕だけだろうか。

たしか、小学3年生の国語の時間に足を怪我しているというのに立たされて、声がかれているというのに大きなで読まされた詩だった(ような記憶)。僕にはできないけれどあの子にはできる、僕にはできないけれど、あれを使えばできるかもしれないといった具合に、みんな違ってみんないいとみすずさんは言っている。

 

みんなバカでみんないい。

でも

みんな天才でみんないい。

でも

いいのかもしれない(と僕は捉えている)。要は、一人一人違うんだから、モノをシェアしながら楽しく生きていこうぜ!って伝えたいのではないか。

 

その天才的な詩の下にわけもわからないまま詩を作って載せてみた。

わけわからない?なぞい?

いいじゃないか、みんな違ってみんないいのだから。

少しまじめに書き直してみよう。

 

「パソコンとスマホと本と」

わたしが一冊の本を読む間に

パソコンとスマホは膨大な情報をコントロールしている

パソコンがまた一つ仕事をしている間に

わたしは本を読む。

本を読んでインプットしている間に

あなたはまたアウトプットしている

あなたがアウトプットしている間に

わたしはまたインプットしている

あなたとわたしが競っているときも

地球は回っている

パソコンとスマホが競っているときも

地球は回っている

競う時代は終わりに近づいてきた

ここで何を思うか

シェアエコノミーと思うだろうか

そうだ、シェアの時代到来

あなたとわたし

パソコンとスマホ

競うのではなくシェアしていこう

競ってもシェアしても

地球は回っている

だって、そうだろう

地球から見れば

わたしらは塵のような

ちっぽけな存在

1人が暴れたって

地球には影響なし

1人が革命を起こしたって

地球には影響なし

だったら、人の目なんて気にしなくていい

自分の思いで

動いたらいい

みんな違ってみんないい

松園だいき

 

これで斬新な即興詩のできあがりだ。

考え方をスライドシフトさせ、日常生活からディパーチャーさせれば、誰でも詩は書ける。

 

そして、有名な詩人と並べてみる。

そして、カタカナをぶっこむ。マンジ

 

使い方もよく分からないカタカナ文字もいれてみる。

 

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ここまで書いているうちにミスチルの「名もなき詩」が終わった。

これにも「詩」という言葉が入っている。奇跡が起きている感覚。

 

そんな僕だが、卒業後はふらふらとドローン教室を作ることにした。

簡単に言えば、親子でドローンを飛ばして、楽しくしてもらうというコンテンツだ。

ドローンもいまはプロポーション(コントローラー)があるが、何年後かはスイッチ一つで動いて、操縦もほんの少しだけするという形に変わるだろう。

この時に意味をなくすのは、ただやっているという人だ。

だから、ドローン教室では、本気で遊んで本気で生産できるまでやろうというマインドを育ててもらえればと思考中。

さて、どうなることやら。

僕ひとりが地球で暴れたって、地球は普通にまわっているのだからこのフィールドで暴れて遊んでいくことにした。

 

シュウカツ

 

終活ぐらいはしようと思う。

 

 人の目は気にせずに、自分のフィールドで生きていこう。

ね?

 

 

それで、ここまで読んでくれたあなたに、お願いごとをさせてください。

共犯者になってください。

ふらふらしてる僕なんですが、「石垣島の学生と外から来る人をつなげるコミュニティ作り」を石垣島出身の女子大生と企画しています。

そのさきがけとして、年末年始に石垣島にいってきます。

その渡航費用は、やさしくてつよい人たちのおかげで徐々に集まってきています。

あなたも支援してくださいませんか?

 https://polca.jp/projects/BiIS1ObKnwp

 

みんな違ってみんないい。

 

 

 

 

それでは、また!

 

「不登校から」著・小幡和輝を読んで考えたこと

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あなたは「不登校」という言葉を聞いて何を思いますか?

 

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僕はこの著書を読み始める前、「集団になじめない」「集団で過ごすのがいや」「いじめを受けている」というイメージを持った。僕が過ごしてきた義務教育時代の9年間では、実際に「不登校」のクラスメイトがいたのは事実である。初めて「不登校」という言葉を聞いたのは、たしか小学5年生だったかと記憶している。そこまで仲がいいというわけではなかったけれども、学校で会えば普通に会話する程度の関係だった。昨日は普通に話していたのに、今日は来ていないな。。あれどうしたんだろ。。と思っているうちに次の日もその次の日も学校に来ていなかった。先生たちに「なにかあったの?」て聞いても、何も教えてくれなかった。

 

「学校の先生って一人を見てみぬふりするんだなー」とその時に初めて感じた。

 

だって、同じ学校に通うもの同士なのだから、その人の状態を教えてくれたっていいじゃないか。先生たちの中では、「不登校」ってなってしまっているかもしれないということは把握していたと思う。それを僕たちにも少しでも教えて欲しかった。そこ隠す必要ないのでは?と思う日々だった。

 

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不登校から高校生社長へ。自分の実体験を本にして、日本中の学校に配りたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

 

小幡さんの著書を読む前に、こんなことを考え、思い出していました。

本の冒頭部分での言葉が心に刺さります。

一番辛いのは不登校ではなく、学校に居場所がない状態。これは本当に辛い。僕もそうだったから 。

 

学校に居場所がない。

ジブンゴトにして考えてみると、正直「居場所がないってどういうことだろ?」と思いました。昼休み一緒に遊ぶ人がいないことなのか、授業の合間にお話しする友達がいないことなのか、それとも仲がいいグループがないのか。そんなことしか浮かびませんでした。しかし、この著書を読み終えて、僕なりの答えが出ました。

 

居場所とは、自分の全てじゃなくても9割、8割を受け止めて認めてくれる「やさしくてつよい」友や師、親がいる空間のこと。

だから、居場所がないというのは、このような空間が「学校」という場にはないということなのではないかと考えました。もしかしたら、学校以外のコミュニティでは居場所があるけれども、学校となると居場所がない。という形も十分ありえることでしょう。

「”なんか”学校に行きたくない」の”なんか”がその空間ギャップに繋がり、だんだんと学校から足が遠くなってしまうというのはないでしょうか。

 

これは当事者ではなかった僕が考えたことです。意見は人それぞれあると思います。

あなたの学校空間における「居場所」とは何か教えてもらえると嬉しいです。

 

そして、読み進めて行くなかで「明日、学校に行きたくないキミへ。」という箇所で、

「なにをしてもキミの自由。でも、これだけは覚えておいてほしい。この時間の使い方を間違えると、これからの人生に大きな影響が出る。(中略)学校以外に友達は作った方がいい。これは絶対。」(p17-18)と書かれています。なるほどなと感じました。先ほどあげた居場所の話になりますが、学校に居場所がないならば、学校外で居場所を作り、一緒に楽しいことができる仲間を作れると時間の使い方としてはマイナスにはなりませんよね。そして、続いてこう書かれています。

音楽、パソコン、イラスト、ゲーム、Youtube、スポーツ、なんでもいい。とことんハマれ。

 

学校は1日8時間。毎日、8時間続けられることを見つけてみよう。それが、キミの得意なこと。キミの才能だ。時間を忘れて没頭する力は絶対に無駄にならない。

 

学校行きたくない人に向けたメッセージではありますが、普通に学校に通った僕の立場でもかなり響くものがあります。果たして、僕は1日8時間の学校の中で没頭したものはあったのだろうかって問い直してみました。

 

残念ながら、8時間も没頭できたものはありませんでした。

 

これができる力、才能はすさまじいものです。

 

この話で思い出したのが、「見てる、知ってる、考えてる」の著者・中島芭旺さんです。僕の大好きな佐藤剛史先生のブログである動画を見ました。

本当に「自分を大切にする」ということ - ゴーシ先生のfacebookでは書けない話の中に貼られている動画が下記のものです。

 

 

「学校に行かない」という選択。学校に行けないのではなく「行かない」。

この動画の中で中島さんは「夢中になったら足りない。1日中それを勉強し続けたい」「学校に行かない自由だけでなく、学校に行く自由もほしい」と、

また剛史先生は「これからの社会は『失敗しない人間』よりも『一つのことを極める人』が求められる」と言っていました。まさに小幡さんがいう「とことんハマれ」に似たものがあると感じました。

 

そして、様々な不登校の形があるということで、何人か紹介されています。

ここではCAMPFIRE代表 家入一真さんとの対談部分を見ていきます。

家入さんのこの言葉が響きます。

良くも悪くも自分の弱さを受け入れられたのかな。

自分はすごく弱い人間なんだということを、割と早いタイミングで認めることが出来たのはすごく良かったなと思っていて。

 

結局のところ答えはなくて、何が正解なんて言い方はしたくないですが、一つだけ言えるとすれば、僕はこれは経営でも同じだと思っているんですが、とにかく大人が出来るということっていうのは、選択肢を出してあげることだと思っています。

 

色んな人がいて色んな人生があって、あなたも自分の人生を生きなさいということをとにかく提示することしか出来ない。

 

本を読み終えて。

とてもやさしくて心に響いてくる言葉たちばかりでした。僕の中学校のときに感じた「先生って見てみぬふりするんだなー」という気持ち。もしかしたら、そうではなかったのかもしれません。僕から見たら「学校に来なくなった」子は「学校に行かない」という選択肢をとっていたのかもしれません(当事者ではない第三者からの予測にしかすぎませんが)。

 

あなたは「不登校」という言葉を聞いて何を思いますか?

 

 

最後に、

「勇気を出した人に世界は優しいし、勇気を出した人の世界は広がる」中島芭旺

 

 

著書「不登校から」はクラウドファンディングのリターンで頂けるようです。

「不登校から高校生社長へ」2冊セット。※送料込み | Kazuki Obata

 

 

 

それでは、また!

自分で買うのではなく、みんなで買うという感覚

こんにちは、まつぞのです。

 

欲しいものがあるとき、あなたはどうしていますか?

「お金を貯めて、自分で買っている」という人が大半のように感じます。僕もそうやって生きてきました。

 

しかし、持っていたドローンよりもすばらしいドローンをお譲りいただいたあとから少しだけ感覚が変わったような気がしています。

 

以前は、自分で買いたいと思ったものは自分のお金で買わなければならない、人のお金をもらってはいけないと誰かから教えられたわけでもないのに、そう思っていました。しかし、こうやってモノを譲ってもらってからは、必要なドローンバッテリーも#polcaでご支援いただいたから購入できたし、それ以外に必要なアクセサリー類もご支援いただこう、それが「なんか」いい、という感覚になっています。

 

「なんか」というのは、”みんなでつくれる””みんなに支えられている”という感覚のことかもしれません。一人でやるよりもみんなでつくっていったほうが幸せは増すのではないかと感じています。この感覚を持ち始めて、経験が浅いのではっきり言えませんが、そのような気がしています。キングコング西野さんがいう「貯信」というものに近いのかな、と。

 

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 この考えを深めるためにも、もう一度「革命のファンファーレ」を読み直します。

 

 

 

それでは、また!