「不登校から」著・小幡和輝を読んで考えたこと

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あなたは「不登校」という言葉を聞いて何を思いますか?

 

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僕はこの著書を読み始める前、「集団になじめない」「集団で過ごすのがいや」「いじめを受けている」というイメージを持った。僕が過ごしてきた義務教育時代の9年間では、実際に「不登校」のクラスメイトがいたのは事実である。初めて「不登校」という言葉を聞いたのは、たしか小学5年生だったかと記憶している。そこまで仲がいいというわけではなかったけれども、学校で会えば普通に会話する程度の関係だった。昨日は普通に話していたのに、今日は来ていないな。。あれどうしたんだろ。。と思っているうちに次の日もその次の日も学校に来ていなかった。先生たちに「なにかあったの?」て聞いても、何も教えてくれなかった。

 

「学校の先生って一人を見てみぬふりするんだなー」とその時に初めて感じた。

 

だって、同じ学校に通うもの同士なのだから、その人の状態を教えてくれたっていいじゃないか。先生たちの中では、「不登校」ってなってしまっているかもしれないということは把握していたと思う。それを僕たちにも少しでも教えて欲しかった。そこ隠す必要ないのでは?と思う日々だった。

 

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不登校から高校生社長へ。自分の実体験を本にして、日本中の学校に配りたい! - CAMPFIRE(キャンプファイヤー)

 

小幡さんの著書を読む前に、こんなことを考え、思い出していました。

本の冒頭部分での言葉が心に刺さります。

一番辛いのは不登校ではなく、学校に居場所がない状態。これは本当に辛い。僕もそうだったから 。

 

学校に居場所がない。

ジブンゴトにして考えてみると、正直「居場所がないってどういうことだろ?」と思いました。昼休み一緒に遊ぶ人がいないことなのか、授業の合間にお話しする友達がいないことなのか、それとも仲がいいグループがないのか。そんなことしか浮かびませんでした。しかし、この著書を読み終えて、僕なりの答えが出ました。

 

居場所とは、自分の全てじゃなくても9割、8割を受け止めて認めてくれる「やさしくてつよい」友や師、親がいる空間のこと。

だから、居場所がないというのは、このような空間が「学校」という場にはないということなのではないかと考えました。もしかしたら、学校以外のコミュニティでは居場所があるけれども、学校となると居場所がない。という形も十分ありえることでしょう。

「”なんか”学校に行きたくない」の”なんか”がその空間ギャップに繋がり、だんだんと学校から足が遠くなってしまうというのはないでしょうか。

 

これは当事者ではなかった僕が考えたことです。意見は人それぞれあると思います。

あなたの学校空間における「居場所」とは何か教えてもらえると嬉しいです。

 

そして、読み進めて行くなかで「明日、学校に行きたくないキミへ。」という箇所で、

「なにをしてもキミの自由。でも、これだけは覚えておいてほしい。この時間の使い方を間違えると、これからの人生に大きな影響が出る。(中略)学校以外に友達は作った方がいい。これは絶対。」(p17-18)と書かれています。なるほどなと感じました。先ほどあげた居場所の話になりますが、学校に居場所がないならば、学校外で居場所を作り、一緒に楽しいことができる仲間を作れると時間の使い方としてはマイナスにはなりませんよね。そして、続いてこう書かれています。

音楽、パソコン、イラスト、ゲーム、Youtube、スポーツ、なんでもいい。とことんハマれ。

 

学校は1日8時間。毎日、8時間続けられることを見つけてみよう。それが、キミの得意なこと。キミの才能だ。時間を忘れて没頭する力は絶対に無駄にならない。

 

学校行きたくない人に向けたメッセージではありますが、普通に学校に通った僕の立場でもかなり響くものがあります。果たして、僕は1日8時間の学校の中で没頭したものはあったのだろうかって問い直してみました。

 

残念ながら、8時間も没頭できたものはありませんでした。

 

これができる力、才能はすさまじいものです。

 

この話で思い出したのが、「見てる、知ってる、考えてる」の著者・中島芭旺さんです。僕の大好きな佐藤剛史先生のブログである動画を見ました。

本当に「自分を大切にする」ということ - ゴーシ先生のfacebookでは書けない話の中に貼られている動画が下記のものです。

 

 

「学校に行かない」という選択。学校に行けないのではなく「行かない」。

この動画の中で中島さんは「夢中になったら足りない。1日中それを勉強し続けたい」「学校に行かない自由だけでなく、学校に行く自由もほしい」と、

また剛史先生は「これからの社会は『失敗しない人間』よりも『一つのことを極める人』が求められる」と言っていました。まさに小幡さんがいう「とことんハマれ」に似たものがあると感じました。

 

そして、様々な不登校の形があるということで、何人か紹介されています。

ここではCAMPFIRE代表 家入一真さんとの対談部分を見ていきます。

家入さんのこの言葉が響きます。

良くも悪くも自分の弱さを受け入れられたのかな。

自分はすごく弱い人間なんだということを、割と早いタイミングで認めることが出来たのはすごく良かったなと思っていて。

 

結局のところ答えはなくて、何が正解なんて言い方はしたくないですが、一つだけ言えるとすれば、僕はこれは経営でも同じだと思っているんですが、とにかく大人が出来るということっていうのは、選択肢を出してあげることだと思っています。

 

色んな人がいて色んな人生があって、あなたも自分の人生を生きなさいということをとにかく提示することしか出来ない。

 

本を読み終えて。

とてもやさしくて心に響いてくる言葉たちばかりでした。僕の中学校のときに感じた「先生って見てみぬふりするんだなー」という気持ち。もしかしたら、そうではなかったのかもしれません。僕から見たら「学校に来なくなった」子は「学校に行かない」という選択肢をとっていたのかもしれません(当事者ではない第三者からの予測にしかすぎませんが)。

 

あなたは「不登校」という言葉を聞いて何を思いますか?

 

 

最後に、

「勇気を出した人に世界は優しいし、勇気を出した人の世界は広がる」中島芭旺

 

 

著書「不登校から」はクラウドファンディングのリターンで頂けるようです。

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それでは、また!