そろそろ部活のこれからを話しませんか-未来のための部活講義-

そろそろ部活のこれからを話しませんか-未来のための部活講義-

中澤篤史

 

 

●なぜ部活は成立しているのか

・日本では、ほぼすべての中学校・高校に部活がある。9割の中学生、7割の高校生が、部活に入っている。そして、9割の教師が、部活の顧問に就いている。部活は、当たり前の存在になっている。

 

・部活はカリキュラム(学校教育で児童・生徒が学習すべき内容をまとめた教育課程)に含まれておらず、教育課程の外にある活動、つまり課外活動になっている。簡単に言うと、部活は授業ではない。

 

・授業と部活を比較してみると、授業は制度的に決められているので、生徒の側から見れば、好きでも嫌いでも受けなくてはならない。反対に部活は、内容や形式や人材は、制度的に決まっているわけではない。

 

・部活は、制度と呼ぶことができないほどあいまいな中で成立してきた。制度が決めたから存在したわけではなく、現場でああしようこうしようと考えながら、それがなんとなく積み重ねって、部活は成立してきた。部活は、いわば慣習なのだ。

 

・部活は、法律や制度として成立しているわけではなく、あくまで「自主的」な現場の慣習として、成立しているのだ。

 

・生徒が部活を望んでいるとは限らない。嫌々部活に参加している生徒がいることは、誰もが知っている。生徒の「自主性」によって部活が成立しているわけではない。もちろん、生徒の中には部活を望む生徒もいるし、自分から部活に入ろうとする生徒もいる。

 

・学校は「お金が足りない、施設が足りない、顧問をどう配置するか」と頭を悩ませ、教師は「土日も部活で大変だ、時間外勤務を何とかしてくれ、手当をもっと上げてくれ」と不平をもらす。部活は、学校と教師にとっての負担となっているにもかかわらず、成立している。

 

・これまでに何度も、部活を学校から地域へ移そうと試みられた

1962年・・・日本体育協会が設立した「スポーツ少年団」は、部活に代わる地域スポーツの場として期待された

1970年代・・・一部の自治体で、部活を地域の「社会体育」としておこなう動きがあった

2000年代・・・「総合型地域スポーツクラブ」として部活を地域へ移していこうと叫ばれた

→いずれも失敗におわり、部活は、地域社会への移行が何度も試みられたにもかかわらず、学校で成立している。

 

・部活が成立していること自体が不思議だという最も大きな理由は、部活が海外では見られない日本独特の文化だからだ。

 

・イギリスの「部活」は一般生徒のレクリエーション、アメリカの「部活」は少数エリートの競技活動、日本の部活は一般生徒の教育活動として機能している。

・教師が顧問を務める理由は、目的が単なる競技力向上ではなく、人間形成だから。

 

●いま部活はどうなっているのか

 

・中学生の9割、高校生の7割が部活に加入し、教師の9割が部活の顧問に就いている。

 

・生徒に部活加入を義務付けている学校もある

 

・顧問に就いた教師たちは、負担に感じることなく自ら主体的に部活に関わろうとしている「積極的な教師」と、負担や困難のために部活から離れたいとの気持ちがありながらも、完全に離れはしない「消極的な教師」に分けることができる。

 

・積極的な教師は、独特な意味づけ方によって、負担や困難を乗り越え、教育のために関わるという大枠の考えが崩されなかった。

 

・消極的な教師は、負担や困難を抱えながらも、部活からは完全に離れない。その理由には、①教師-生徒関係:部活は教育実践に有効だという考え、②教師-教師関係:管理職や他の教師からの影響、③職場環境:学校教育目標や校務分掌、人事評価の影響などがあった。

 

・教師が部活に関わろうとする原動力の第一は、教育のためという理由だ。教師は、学校教育の一環として、教育的効果をねらったり、生徒指導を達成したりするために、部活を活用しようとしている。

 

・教師自身の目から捉えかえした場合、部活は「教育問題」というよりも、教育活動そのものだ。部活が教育活動であるからこそ、教師は積極的に関わり続けるのであり、消極的ながらも離れない。

 

●生徒の生命、教師の生活を守れるか

<生徒>

・部活で早急に解決しなければならない重要課題は、死亡事故や体罰・暴力から生徒の生命を守ること、苛酷な勤務状況から教師の生活を守ること

 

・私たちは「部活で子どもが死んでいる」という事実を、長い間知らなかった。正確に言うと、その時々の死亡事故は報道されていたが、そうした事例が積み重なり死亡事故が繰り返されていること、知らないでいた。

→発見されるきっかけとなったのは、内田良の「部活での死亡事故、特に柔道部での死亡事故の事例を集計して分析した」研究成果であった。

 

・死亡事故が知らぬ間にくり返されてきたのとは違って、体罰・暴力は、見て見ぬふりをされてきた。

 

・部活で体罰・暴力があることは誰もが知っていたにもかかわらず、「体罰は時には必要だ」と言われて、長らく続いてきた。

201212月、大阪市立桜宮高校バスケットボール部キャプテンの生徒が、顧

問教師からの体罰・暴力に苦しみ自殺し、大きな社会問題に。

 

・体罰問題は暴力問題として扱われるべきだし、実際にそうなりつつある。生徒の生命が守られるように、部活を安心・安全な場所にしなければならない。

 

<教師>

・顧問教師は、実態として時間外勤務を余儀なくされている。

・運動部活動の顧問教師の半分近くは、スポーツ知識や経験がない中で、肉体的・精神的に負担を抱えながら部活に従事している。

 ・いまの部活の問題のひとつは、生徒自陣に、部活ができることへの感謝や、自分の欲望を満たすことへの責任を、感じさせないままにしていること。したい部活ができるのは、教師の支えがあるからこそ、という事実を生徒にきちんと教える必要がある。

 

●部活の未来をどうデザインするか

・部活の制度があいまいである理由は、「自主性」の理念を掲げているからだ。あいまいさをなくして制度をはっきり整えたら、それは「自主性」にもとづくものではなくなる。つまり、「自主性」の理念を掲げるかぎり、部活の制度は、あいまいでなければならない、ということになる。しかし、くり返しになるが、そのあいまいさが現場を苦しめてきた。

 

・「自主性」という言葉がもつ問題は、実際には強制されているにもかかわらず、「自主性」と言われてごまかされてしまうことだ。「自主性」の名の下に、部活を強制される生徒がいる。教師も、全員顧問製で仕方なく部活を任されて、時間外勤務に苦しみ、何かあった時の補償に不安のぬぐえない人が少なくないのに、部活に関わるのは教師の「自主性」ということにされている。

 

・部活の外側に目を向けて、部活や「自主性」よりも大切にすべき法律や道徳、授業があるという当たり前の事実を認識しなくてはならない。

 

・「楽しむ練習」としての部活は、人生に絶対に必要ではないが、人生をすばらしく有意義にする「楽しむ力」を与えてくれる。